妻がかわいそう

妻がかわいそうなんです。少しでも楽になるなら…

5年間、病院をたらい回しにされ、車椅子で現れた彼女が、たった一度の施術で「笑顔のOKサイン」を出すまで。

「体重90キロ、精神の疲弊、全身を襲う激痛。線維筋痛症という絶望の淵にいたご夫婦の時間が、再び動き出した物語。」

名前のない苦しみに、名前がついた日

病院を回っても、検査をしても異常は見つからない。原因も治療法も確立されていない。

線維筋痛症。

それは、そんな「よくわからない痛み」に対して、後からおまけのように付けられた名前に過ぎません。

彼女が5年間、その名前(レッテル)を背負いながら、どれほどの孤独と戦ってきたのか。救急外来を繰り返し、出口のない暗闇を彷徨い続けてきた彼女の「本当の苦しみ」を、誰も見てはくれませんでした。

――だからこそ、私はその「名前」を一度忘れ、目の前の彼女の体に、静かに問いかけることにしたのです。

ここ宮城(仙台エリア)でも、どこへ行っても「原因不明」と突き放され、線維筋痛症の出口のない痛みに悩む方は少なくありません。

あの日、仙台へ1時間半。震える体で激痛に耐え、命がけで車を走らせてきたあのご夫婦も、その一人でした。

もし今、あなたも「もうこれ以上、どうすればいいのか分からない」と一人で震えているなら、まずはこの記事を読んでみてください。

[この痛み、いつまで我慢すればいいのか]

鳴り響いた、震える声の電話

「線維筋痛症のページを見て電話しました。実は妻なんです。痛みがひどくて……お願いできないでしょうか」

「変わってあげられるなら、代わってやりたい」

震える声で電話をかけてきたご主人が漏らした、その一言。 それは、5年間、じわじわと、そしてここ1〜2年は一分一秒も休まることなく激痛にのたうち回る奥様を、一番近くで見守り続けてきたご主人の魂の叫びだった。

目の前でワーワーと泣き叫ぶ妻を前に、自分はただ見守ることしかできない。 痛み止めも、病院の言葉も、何一つ助けにならない。

必死に、必死にネットを検索し、藁をもすがる思いで私を見つけてくれたのだ。

電話口から伝わってくる、ご主人の悲痛な叫び。5年間、病院をたらい回しにされ、出口のない闇を彷徨ってきた無力感が、その声に滲んでいました。

私は以前、関節の動きを整えることで痛みが消えた経験から「線維筋痛症は良くなるんだ」と確信して記事を書きましたが、現実は過酷でした。「体重90キロ、精神的にも病んでいて、車椅子です」というご主人の言葉。

正直に伝えました。 「よくなるかは分かりませんよ。それでもいいですか?」 ご主人は迷わず答えました。 「少しだけでも楽になれたら、それでいいんです。あんなに痛がって、妻がかわいそうで……お願いします」

その「覚悟」に、私の施術家としての魂が火を灯しました。「やりましょう。来てください」と。

「治るか分かりませんよ。それでもいいですか?」そう伝えた私の根底には、自分自身が13年のリハビリを乗り越えてた方のケアーの経験がありました。

リハビリ13年の軌跡

大学病院の限界と、診察室で響いた怒号

繰り返される「たらい回し」の果てに

電話の向こうで震えていたご主人の声。その背景には、何年も続いたあまりに過酷な「医療のたらい回し」がありました。

最初は整形外科。しかし「骨には異常がない」と言われ、糖尿病があることを告げると、今度は「その痛みの原因は糖尿病の合併症かもしれないから神経内科へ」と送られる。神経内科へ行けば「いや、脳の誤作動の可能性があるから脳神経外科へ」と、バトンのように投げ出される日々。

ご夫婦が求めていたのは、高名な医師の肩書きでも、立派な病院の建物でもありません。ただ「今、この瞬間の激痛を止めてほしい」という、切実な願いだけでした。しかし、現代医療のシステムは、専門外の症状を「隙間」に落とし込み、救いの手を差し伸べるどころか、出口のない迷路へと二人を追い込んでいったのです。

「いい加減にしてくれ!」——事務的な対応への叫び

ようやく辿り着いた東北大学病院、そしてペインクリニック。そこは、多くの患者が「最後の砦」と信じて門を叩く場所です。しかし、そこで待っていたのは、あまりにも事務的で、あまりにも血の通わない「診察」でした。

医師は、激痛に顔を歪める奥様の姿を一度も見ようとせず、ただパソコンの画面に並ぶ検査数値だけを見つめていました。 「数値に異常はありません」 「糖尿病の管理を優先してください」 「痛むはずがないのですが……念のため、精神科の受診を勧めます」

その瞬間、5年間、奥様の体を支え、共に夜を明かし、絶望を分かち合ってきたご主人の堪忍袋の緒が切れました。

「ふざけるな! いい加減にしてくれ!!」

静まり返った診察室に、ご主人の怒号が響き渡りました。 「数値がどうだ、科が違うだなんて、そんな話を聞きに来たんじゃない! これまで何軒回って、どれだけ妻が苦しんできたと思っているんだ! 誰か、今すぐ、この妻の『痛み』そのものを見てくれる人はいないのか!」

それは、単なる怒りではありません。目の前の人間を「症例」としてしか扱わない医療に対する、魂の叫びでした。結局、納得のいく答えは得られないまま、投げ出されるように「線維筋痛症」という、原因不明の免罪符のような病名を付けられただけ。

「どこへ行っても変わらない。もう、誰も助けてくれない……」

その極限の絶望と、医療への不信感を抱えたまま、ご主人は最後の最後、震える手で私の院へ電話をかけてこられたのです。

音のない絶望。車椅子での来院

院のドアが開き、ご主人に支えられ、車椅子で入ってきた奥様の姿を見たとき、私は息を呑んだ。

彼女は泣いていなかった。 泣き叫ぶどころか、まるで死んだようにすべてを諦め、ただ静かにうなだれていた。

痛みという「重力」に縛られた体

「失礼します……」

重い扉が開き、車椅子で現れた奥様の姿に、私は一瞬言葉を失いました。首は力なくうなだれ、視線はどこも捉えず、ただ足元の床を虚ろに見つめている。こちらが何度問いかけても、反応ひとつありません。

5年間、激痛に晒され続けた心身は、もはや外部との接触を断たなければ、その痛みという「怪物」に飲み込まれてしまう……。そんな、極限の防衛本能さえ感じさせました。深夜から続いた激しい痛みで、今朝方まで救急外来で点滴を受けていたというその体は、まるでこちらの声が届いていないかのように微動だもしません。

車椅子からベッドまで。止まったままの歩み

ご主人に促され、車椅子からゆっくりと足を床に下ろそうとします。しかし、一歩を踏み出すたびに、痛みで体が強張る。体重90キロの全身をご主人に預け、崩れ落ちそうな一歩を一歩、必死に踏み出していく姿がありました。

車椅子から降りて、すぐそこにあるはずのベッドまで歩く。そのわずかな距離を移動し、たどり着くまでに、気の遠くなるような時間が過ぎていきました。ようやくベッドの縁に腰を下ろし、横たわった瞬間の、深く重い沈み込み。それは、彼女が背負ってきた5年間の苦しみの重さそのものでした。

「何も変わらなかった」では済まされない

私は、ご主人から手渡された問診票の住所を見て、さらに胸が締め付けられました。
県木から仙台へ、高速道路を飛ばしても一時間半以上かかる距離。

今朝方まで救急外来で点滴を受け、座っていることすらままならない妻を乗せて、この遠い道のりを、ご主人はどんな思いで、どんな表情でハンドルを握り、ここまで運んできたのか。

「遠くから大変でしたね。少しでも楽になるといいですね」
そんな生ぬるい言葉は、今の私には通用しない。

「何も変わりませんでした」と、絶望する二人の後ろ姿を見送ること。
そんなみっともない真似をするくらいなら、私に整体師を名乗る資格などない。

逃げ道はすべて塞がれました。
私は、彼女の足元に膝をつき、そっと指先に触れました。

なぜ、病院の検査では「異常なし」と言われるのか

一般的に線維筋痛症は、血液検査やMRIでは異常が見つかりません。それは、骨や筋肉が「壊れている」のではなく、脳や神経が「痛み」を過剰に学習し、誤作動を起こしている状態だからです。

火事(原因)がないのに、火災報知器(神経)だけが鳴り止まない。

病院で「異常なし」と言われるのは、この「報知器の誤作動」を測る物差しがないからです。だからこそ、私は患部を強く揉んだり、無理に動かしたりはしません。私の「手」が探すのは、その誤作動を解くための、体全体のわずかな「滞り」だけです。

「実は、当院には他にも、大学病院で見捨てられ車椅子で来院されたご夫婦がいました。彼らが1年8ヶ月、何を信じて通い続けたのか。その真実をこちらに記しています。」

[▶︎病院神話の終焉。真面目に生きる人が報われる場所へ]

「痛みという重力」に縛られた5年間。車椅子の彼女が、指先一つで「OKサイン」を出すまで。

「左の膝が一番痛い!」

触れようとするだけで、彼女の眉間に深いしわが刻まれます。 横で見守るご主人が、絞り出すように言いました。

「……痛いようです」

鉛のように重い足を、ベッドからわずか数センチ浮かせるだけで、激痛が走る。 これまで診てきたどんな患者さんとも違う。線維筋痛症という病の本当の恐ろしさを、私はその時、肌で感じていました。

「触れない……! どうしよう!」

焦る心を落ち着かせ、私はかつて学んだ教えを思い出しました。 ――「触れているか、わからないほどの圧で」。

膝ではなく、足だ。

私は彼女の足の甲に、そっと、羽毛が触れるような力で手を添えました。

「痛み、ありますか?」 眉間にしわはありましたが、彼女はかすかに首を横に振りました。

「痛みがない……!」

足首が岩のように硬い。ほとんど動かない。 もしかして、これか。

触れているかわからない圧のまま、ゆっくりと、硬い方にベクトルを合わせて、カチッと止まる場所を探す。

少し動く。またカチッと止まる。 それを繰り返すうちに、あれほど頑固だった足首が、ふわりと柔らかく解けていきました。

私は再び、膝の裏を触りました。 柔らかい。

足を持ち上げると軽い

重くなるまで持ち上げ、また軽くなるまで持ち上げる。 どんどん、どんどん足が上がっていく。 さっきまでベッドから離すだけで顔を歪めていた脚が、嘘のように空へ伸びていきました。

「足、上がるようになりましたよ」

私の声に、ご主人が息を呑みました。「本当ですね……!眉間のしわがなくなっている」

ご主人が「痛くない?」と覗き込むと、彼女は深く、深く頷きました。

その後のことは、言葉にするのも野暮かもしれません。 右の膝、右の肩……全身を「触れているかわからない圧」で繋ぎ直していきました。

最後、私が「痛みはない?」と聞くと、彼女は震える両手で、小さな、でも確かな「オーケー」のサインを出してくれました。

ベッドの縁に腰掛け、ご主人の介助でゆっくりと立ち上がった彼女。

自分の足で立ち、ご主人を見て再びオーケーポーズを見せて、

彼女は私に向かって深々と、本当に深々と頭を下げてくれました。

「……さっきまでのあの痛みは、一体何だったんだろう」

その場にいた全員が、その言葉の意味を噛み締めていました

「さっきまでのあの痛みは、なんだったんだ?」 (呆然と立ち尽くすご主人が漏らした、5年目の真実)

痛みという「霧」が晴れた向こう側

それまでの重苦しい空気は、どこへやら。

奥様は、ご主人の介助も、誰の手も借りることなく、そのまま一人でスッと立ち上がりました。そして、驚くほど軽やかな足取りで、廊下の先のトイレへと向かわれたのです。

5分前まで、車椅子に沈み込み、命を削るようにして一歩を踏み出していた、あの絶望的な姿はもうどこにもありません。

「……元々は、本当に明るい性格の妻なんです」

そう語るご主人の横顔には、ようやく、確かな光が差し込んでいました。

痛みという深い霧に隠されていた、彼女の本来の輝き。

5年間、ご主人がずっと取り戻したかった「当たり前の日常」が、今、目の前で再び動き出したのです。

車椅子を畳み、自分の足で踏み出す一歩

帰り際、ご主人が持ってきた車椅子を、彼は静かに畳みました。 奥様は、もう誰の助けも借りず、自分の足でしっかりと床を踏みしめています。

玄関を出る直前、彼女はふと私を振り返り、こう言いました。

「先生……さっきまでのあの痛みは、一体何だったんでしょうね」

その顔には、来院時の「死んだようなうなだれ」は微塵もありませんでした。代わりにあったのは、一人の女性として、一人の妻として、再び人生を歩み始めるための、晴れやかな笑顔でした。

仙台までの一時間半。命がけで車を走らせてくれたご夫婦の背中を見送りながら、私は確信しました。 私の技術は、痛みを消すためだけにあるのではない。 こうして、止まってしまった家族の時間を、再び動かすためにあるのだと。

最後に:止まった時間を動かすのは「手」

私の技術は、単に痛みを消すためだけにあるのではありません。 5年間、出口のない暗闇で止まってしまった家族の時間を、再び動かす。そのために、私はこの「手」を磨き続けてきました。

絶望を乗せてやってきたあの車が、希望を乗せて家路へと向かう。その後ろ姿を見送るたび、私はこの仕事を選んだ意味を噛み締めています。

どこの馬の骨かわからない私の技術を信じ、命がけで頼ってくれたご夫婦に感謝を込めて。私はこれからも、この「手」ひとつで、誰かの止まった時間を動かし続けていきます。

線維筋痛症。 検査をしても異常が見つからず、原因も治療法も確立されていない。そんな「よくわからない痛み」に対して、後からおまけのように付けられた名前に過ぎません。

(病名がわかったところで、この痛みは1ミリも引かなかった)

大事なのは、名前をつけることではありません。今、目の前で苦しんでいる人を、どうやってその痛みから救い出すか。それだけです。

5年間、原因不明の闇の中で止まっていたあのご夫婦の時間は、あの日、あの一歩からまた動き出しました。 次に来院されたときの明るい口紅、キッチンから聞こえる包丁の音、そして5年越しのイチゴ狩り……。

(「しっかり地面を踏めるまで、ここに通い続けたい」)

奥様が最後に残してくれたその言葉を胸に、私はこれからも、一人ひとりの人生に伴走し続けます。

もし、あなたが今「どこへ行っても変わらない」と絶望しているなら。 その重荷を、一度私に預けてみませんか?

あなたの止まった時間を、もう一度動かすために。

「私がこの『手』に込めているのは、技術だけではありません。1年8ヶ月、一人の患者さんの人生を丸ごと引き受けてきた『覚悟』です。その闘いの記録を、ぜひ最後に読んでみてください。」 [▶︎「めんどくさい」と切り捨てられた命の伴走者として]

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(施術中の場合は折り返しいたします)

大切な人が痛みに耐える姿を見るのは、自分が痛いのよりも辛いものです。もし、その苦しみの原因が「良かれと思って続けている安静」にあるとしたら……。

愛する人の足を守るために、知っておかなければならない真実があります。

[死ぬまで自分の足で歩きたいなら、今すぐ「安静」を捨てなさい(3,000文字の真実)]


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