13年前、止まってしまった時間を動かす手

仙台 神経整体 脳内出血後遺症のドルミールに来院した、13年間指が動かなかった男性の話。病院のリハビリで限界と言われた後、神経整体とJTAで起きた一年間の記録。

「病院では『これ以上は変わりません』と言われ、13年が経ちました。」

その一通の問い合わせが、すべての始まりでした。

仙台 神経整体 脳内出血後遺症ケアに挑んだ『一生このまま』という宣告——常識を打ち破る再起動の記録

かつてNTTの関連会社立ち上げに奔走していた彼は、59歳の働き盛りに突然、脳内出血で倒れました。三日間、意識不明の重体。

命は助かりましたが、医師から告げられたのは絶望的な言葉でした。 「リハビリをしても、一生このまま。これ以上は変わりません」

それから13年。 ここ宮城県には、「周りに合わせて我慢し、目立たず生きること」を美徳とする風潮があります。 「もう歳だから」「みんな我慢しているから」「そんな格好で歩けば周りが優しくしてくれるから」……。 そんな周囲の目と、医師の宣告という呪縛に縛られ、彼は不自由な体に耐え忍んできました。

上半身は激しい痙縮(けいしゅく)で縮こまり、下半身は棒のように固まったまま。 死んだ後に盛大な葬式を出し、何回忌もの供養を大切にする。そんな「死んだ後の形」ばかりを重んじる価値観の中で、彼の「今、生きたい」という本音は、13年間も押し殺されてきたのです。

常識を打ち破るための、泥臭い「再起動」の記録

私は彼に伝えました。 生きている今こそが花です。死んだ後の供養より、今、自分の足で歩く喜びを取り戻しましょう」

そこから、私と彼の「常識への反撃」が始まりました。それは決して、魔法のような一瞬の出来事ではありません。

眠れる神経を叩き起こす施術:

JTA」と「神経整体」を駆使し、13年間眠っていた脳からの指令を、固まった筋肉へ繋ぎ直す日々。ある日、石のように動かなかった彼の指が、反射でピクッと動きました。彼は、自分の手を凝視したまま震えていました。もちろん、すぐに折り紙が折れるようになったわけではありません。しかし、13年間ピクリともしなかった指が「自分の意思で動いた」という事実は、彼にとって何物にも代えがたい希望となりました。

技術が繋いだ、本物の信頼:

彼は私の技術を確信し、通っているリハビリ施設に「整体院を開くならこの先生しかいない」と、自ら施設側に私を強く推薦してくれました。その計画は残念ながら実りませんでしたが、彼が自分の大切な場所に私を呼びたいと願ってくれたその信頼こそが、私の誇りです。現状維持しか考えない周囲に対し、「この人はまだ良くなる。ここで終わらせてはいけない」と、私は諦めずに環境を整えるための調整を続けました。

一歩進んで二歩下がる試練

順調に見えた矢先、思わぬ出来事が起きた。しかし私は彼の手を離さなかった。

下半身の記録

左足は完全に麻痺し、脚が棒のように固まっていた。靴を履くだけで時間がかかり、危なっかしくて思わず手を添えたくなる場面が何度もあった。しかし彼は常に自分でやり遂げる人で、介助を拒んだ。

来院当初の主訴は、麻痺していない側の膝痛だった。しかし私には見えていた。麻痺側をケアしなければ、この痛みは一時的にしか改善しないと。当時の彼の心の中には「どこへ行っても同じ、治らない」という諦めが深く根を張っていた。

体の中央部から繰り返しアプローチし、足には電気刺激を加えながら動かし続けた。やがて靴を履くとき、膝と股関節が曲がるようになり、かかっていた時間が少しずつ短くなっていった。

転機は転倒だった。靴を履こうとしてバランスを崩し、足をひねった。捻挫には至らず、痛み止めと湿布で治まったが——その後、歩き方が変わった。杖歩行ではあるものの、股関節と膝を曲げて歩けるようになったのだ。あの転倒がインナーマッスルを呼び覚ます契機になったのだと、後になって気づいた。

上半身の記録

上半身は下半身とは異なる難しさがあった。痙縮——錐体外路の損傷により、力が抜けるのではなく、どんどん入り続ける状態だ。指、手首、肩が曲がり続ける。意思とは無関係に、筋肉が収縮し続ける。

神経整体で少しずつアプローチを続けるうち、膝が伸びてきたあたりから肘に痛みが出た。「肘を動かすと肩甲骨が痛い」と彼は何度も言った。指や手首を動かしても、痛みは肩甲骨に発した。全身が繋がっているからこそ、痛みも繋がって移動する。

三ヶ月半ほど経ったある日、すべてが緩んだ。

指が動いた。

私は思わず声を上げた。彼はきょとんとした顔をしていた。自分の指が動いたことが、まだ信じられないような顔だった。「指を動かすと肘が痛い」と言っていたが、それは神経が目覚めた証拠だった。

「わがままだ」「めんどくさい人だ」……周りがそう言おうとも、私たちは「絶対にやるんだ」という強い意志だけで、暗闇の中を進みました。

我慢の人生から、謳歌する人生へ

通い始めて1年。
かつて長い靴べらを使って必死に靴を履いていた73歳の彼は、今、奥様と一緒に「大人の休日倶楽部」で全国を旅しています。

「先生、いい音で聴いてよ」と、担いで持ってきてくれたあの笑顔。スピーカーの上に乗った小さな飾り(アルパカ)を見るたびに、彼と歩んだ一年の重みを感じます。。 ここから流れるフォークソングは、単なる感謝の印ではありません。 周囲に支配され、我慢し続ける人生に決別した、彼の**「勝利のファンファーレ」**です。

【次は、あなたの時計を動かす番です】

周りに合わせて我慢し続ける人生ではなく、生きている「今」を謳歌したい。 その真っ直ぐな意志を、私に預けてみませんか。

一歩を踏み出す勇気を、仙台長町の dolmil(ドルミル)で

「13年前から変わらない」と諦めている方も、一度私にお話を聞かせてください。 病院でのリハビリとはまた違う、神経と骨格からのアプローチで、あなたの「変わりたい」という想いに寄り添います。

初めての方へ:いつまで我慢を続けますか?(施術の流れ・料金) [リンク:料金ページなど]

13年経っても、医師に「無理だ」と言われても、正しく神経を整え、本人の強い意志があれば、体は応えてくれる。彼はそれを身をもって証明してくれました。

もし、あなたが今、「一生このままだ」という言葉に縛られ、周囲の目を気にして自分を殺して生きているのなら。 私は、その我慢を良しとはしません。

生きている時こそが花」です。

あなたの時計を動かせるのは、他人の言葉ではなく、あなたの決断だけです。 どうか、最後にもう一度だけ、私の「手」を信じてみてください。

脳内出血の絶望から、私がどうやって『今』を取り戻したのか。その考え方の根底にある300万円の葬式代の使い方については、こちらの記事で詳しく書いています。


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