
胸郭出口症候群で仕事を辞める前に読む話
——問診票に「いいえ」と書いた男性が、手術明け3日目にLINEを送ってきた理由
胸郭出口症候群 仕事 辞めることを考えているあなたへ。
辞める前に、一度来てください。
仕事を失った後の現実は、想像以上に厳しい。生活の基盤を守りながら、身体を治す選択肢があります。部署を替えてでも、傷病手当を使って休んででも、続けられる方法を一緒に考えたい。
これは、それでも辞めざるを得なかった一人の男性の話です。
あなたは今、こう思っていませんか
腕が上がらない。服を着るたびに痛みが走る。常にしびれがある。
それがいつまで続くのか、誰も教えてくれない。病院へ行っても、痛み止めとビタミン剤と「様子を見ましょう」しか返ってこない。リハビリでストレッチをしても、変わらない。重症化すれば手術と言われた。それでも根本は治らないと聞いた。
このまま悪くなっていくんじゃないか。慢性疼痛になるんじゃないか。一生このままなんじゃないか。
職場では、腕が思うように動かないから、できないことが増えた。同僚に迷惑をかけていると思うと、申し訳なくて、情けなくて、でも誰にも言えない。外からは見えない痛みだから、大袈裟だと思われる気がして、黙るしかない。
仕事を辞めるしかないのかと思い始めている。
そう思いながら、誰にも言えずに一人で抱えていませんか。
痛みは、人を孤独にする
痛みは、身体だけを壊すわけではない。
長年この仕事をしていると、そのことを何度も何度も、目の前で見せつけられる。動けなくなった人は、少しずつ世界が狭くなっていく。仕事を失い、人との繋がりが減り、「迷惑をかけたくない」という思いが鎧になって、最後には自分の部屋の中だけが、安全な場所になっていく。
彼——便宜上、Kさんと呼ぶ——が初めて来院したとき、私はそういう人がまた一人、扉を開けたことを直感した。
第1章:胸郭出口症候群 仕事 辞める前に
——「いいえ」と書かれた問診票
問診票には、胸郭出口症候群という診断名が書かれていた。首から腕にかけての神経や血管が圧迫されるこの疾患は、重症化すると腕が上がらなくなる。物が持てなくなる。しびれと痛みが、生活のあらゆる場面に忍び込んでくる。
Kさんはすでに、それで仕事を失っていた。45歳での退職。出口の見えない日々が続いていた。
問診票の最後に、私はLINE登録の欄を設けている。彼が書いた答えは、一言。
「いいえ」
これは単なる「LINEが苦手」ではない。誰かと繋がることへの、深い警戒心だ。助けを求めることに慣れていない人の、静かな防壁だ。プライドを盾にしなければ、崩れてしまいそうな何かを、彼は抱えているのだと思った。
第2章:身体が緩むと、心も動き出す
最初の数回、Kさんはほとんど喋らなかった。
必要最低限の言葉だけ返し、目線は天井に固定されている。施術台の上でも、どこか張り詰めた空気をまとっていた。
転機は、「頑張り筋」の説明をしたときだった。
「整体って、マッサージだと思っていますか?」と私が聞いた。
マッサージは固い部分を緩める。でも普段の生活に戻ると、いつも使っている筋肉がまた動き出す。さぼっている筋肉に働きかけないまま、頑張り続けている筋肉だけをほぐしても、痛みは戻ってくる。
「この筋肉は、あなたが頑張ってきた証拠なんです。でも、頑張りすぎたせいで、電源の切り方を忘れてしまっている。痛みは、サボった結果じゃない。むしろ逆です」
論理の塊のような彼は、感情論には頷かない。でも、身体のメカニズムとして自分の痛みを肯定されたとき、彼の目が初めて動いた。「……そうなんですね」と、小さく言った。
その後の施術から、サボり筋を呼び覚ますアプローチを組み込みながら、神経系へのアプローチを続けた。関節の可動域を丁寧に回復させ、過緊張した筋肉を段階的にリリースしていく。急がない。焦らない。
「今まで感じたことないくらい、肩回りが楽になった」
彼がそう言った。三日間は痛みがなかった。リュックにパソコンを入れて一時間半歩くとまた出てきたが、確かな手応えだった。
ここにかけてみよう——彼がそう決めたのは、この瞬間だったのだと思う。
Kさんは、私のところに来たときにはすでに辞めていた。だから、これは彼には間に合わなかった話だ。でも、まだ辞めていないあなたには、間に合うかもしれない。
「辞める」か「我慢して続ける」。その二択しかないと思い込んでいる人は多い。でも実際には、医師の診断書があれば、傷病手当を受けながら最長一年半ほど休職し、治療に専念できる制度を使える会社もある。籍を残したまま、収入の心配をある程度減らしながら、身体を立て直す時間を確保するという道だ。
もちろん、それが使いやすい職場ばかりではないことも、私は知っている。休日もろくにない働き方をしている人にとって、「休職を申し出る」こと自体が、症状そのものより高いハードルになることもある。Kさんのように、「いいえ」としか書けない人ほど、この一言が言えない。
それでも、知っておいてほしい。辞める前に、我慢する前に、選べる道がもう一つあることを。
第3章:背中が語っていた、本当のこと
ある日の施術後、立ち上がった彼の後ろ姿を見て、私は思わず声を上げた。
「ちょっと待って!後ろ姿がまるでお年寄りじゃない!せっかくのイケメンなのに勿体ない!背筋を伸ばして!」
Kさんの丸まった背中に手を当て、ぐっと押し戻した。
この猫背が、肩回りのしびれを引き起こしている。首から肩にかけての筋肉が、丸まった姿勢を支えるために常に引っ張られ続けているからだ。身体を治すということは、施術台の上だけの話ではない。
痛みと挫折のせいで自分を「おっさんですから」と卑下していた。でも私には見えていた。その奥にある、まだ諦めていない何かが。だから黙っていられなかった。
彼は少し驚いた顔をして、それから——小さく笑い、翌週の施術からはそれを意識したのか背筋が伸びていて、この姿勢辛くない?と聞いたら「うん!」と言いうなずいていました。
私はいつも能天気に話しかけていた。でも内側では「改善できなかったら私のせいだ」という気持ちで、必死に施術をしていた。
明るく接しながら、内側では必死だった。それが、私にできる精一杯だった。

その強張りは、 肉体のものではなかった。
誰にも頼れず、 一人で背負ってきた、 孤独の重さだった。
第4章:手術明け3日目のLINE
初回来院から数週間後のことだった。
私は翌週、目の手術を予定していた。来週一週間お休みします——そのことをKさんに伝えた。
手術の三日後、施術部屋で静かにしていると、公式LINEに着信が入った。
Kさんからだった。
「手術して入院すると伺ったのでメールで失礼します。何日の予約を何日に変更したいのですがよろしいでしょうか」
私は少し驚いた。
「いいえ」と書いた人から、連絡が来ていた。
しかも——入院などしていない。今どき目の手術は日帰りだ。でも彼は知らなかった。知らないまま、手術明け三日目に、真っ先に私への連絡を入れてきた。
電話一本で済む用件を、わざわざ公式LINEに登録して。
私は返信した。
「お心遣いありがとうございます。日帰りなので自宅にいます。目が真っ赤に充血して自分でもびっくりしてます。予約変更了解しました」
すぐに返信が来た。
「目の充血、早く収まること願ってます。それでは何日によろしくお願いします」
いつも「ハイ」しか言わない人が、こんな文章を書いてきた。
なぜ「いいえ」と書いた人が、自分からLINEに登録したのか。なぜ手術明け三日目に、真っ先に連絡を入れてきたのか。
私はその理由を、聞かなかった。でも、わかる気がした。
第5章:服が着られた朝
再就職が決まった頃、Kさんはまだしびれや痛みを抱えていた。
久しぶりの社会復帰。新しい職場では、自分のデスクに案内されるだけで、誰も声をかけてこない。周りは勢いよく動き回っている。中年で新参者の自分に向けられるのは期待ではなく、「いつまでもつか」という視線だ。
昔の職場にはあった、お茶くみ、コピー取り、飲み会。無駄に見えて、あれが人と人をつなぐ儀式だった。居場所を作る、小さな積み重ねだった。今はそれが全部なくなった。お茶一つ入れてもらえない職場で、仲間意識も生まれないまま、ただ仕事だけがある。
前の職場でも、孤独で辞めた。また同じになるんじゃないか——その不安が、ずっとそこにあったはずだ。
そんな中で週に一度、ここに来ると誰かが自分の身体を本気で見てくれる。治したいと思ってくれる人間がいる。その感触だけを頼りに、彼は通い続けた。
ある日の施術後、奇跡は静かに起きた。
「あ、腕がスムーズに動く……服が楽に着れる」
彼が、独り言のように呟いた。壁も柱も使わずに、自分の力で服を着る。その当たり前の日常を取り戻した瞬間、彼の表情からスッと毒が抜けた。
その数回後のことだ。いつも論理的に言葉を選ぶ彼が、珍しく戸惑っていた。何かを言おうとして、でも適切な言葉が見つからない。少し震える指先で私の方をそっと指差し、絞り出すように言った。
「……おかげさまで」
言葉を尽くすことより、その指先と一言に、彼のすべての感謝が詰まっていた。
第6章:春、にやけが止まらなくなった
季節が変わり、春めいてきた頃だった。
「最近、痛みがない日が増えてきました」とKさんが言った。
来院するたびに笑顔が増えた。私の顔を見るなり、にやけが止まらなくなった。声を出して笑うことも増えた。あんなに無表情だった人が、どうしても隠しきれない笑みをこぼしている。
普通、大人の男性は感情がだだ漏れになることを恥ずかしいと思うものだ。なのに彼は、堂々とにやけていた。
——隠したくても、こぼれてしまうほど、ここにいることが嬉しいのかもしれない。
慣れない仕事、まだ残る孤独——そのすべての重さを抱えた人間にとって、週に一度、自分のことを気にかけてくれる人がいる場所がどれほど特別か。たぶん私が思っている以上に、大きかったのだと思う。
「仕事も慣れてきたんじゃない?もう半年くらい経つよね」と言うと、彼はうなずいた。
身体の回復と、仕事への慣れと、ここに来る時間——それが少しずつ重なってきていた。
そしてある日、彼は来なくなった。それは、自分の足で歩き始めたということだ。
結び:扉は、まだ閉まっていない

その扉の向こうで、変わらない光が、あなたの再訪を待っています。
整体というのは卒業するものではない。身体を整えながら一生付き合っていくものだ。
いつかまた、あの扉が開くかもしれない。そのとき私は、何事もなかったように迎えたいと思っている。
転ばぬ先の杖でいい。また辛くなったとき、ふと思い出してもらえる場所であれば——それで十分だ。
胸郭出口症候群で仕事を辞めようとしているあなたへ。あるいは、もう辞めてしまったあなたへ。
Kさんは辞めてしまったけれど、再就職後も通いながら、身体は変わっていった。辞める前でも、辞めた後でも——通いながら治せる。その実例が、ここにあります。
辞める前に来てほしかった。でも、辞めた後でも遅くない。
扉は、まだ閉まっていません。
※本記事は、プライバシーに配慮して執筆しています。
この記事を読んだ方にはこちらもおすすめです
独りで抱えずに、まずは一度来てください。
